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中央競馬

札幌競馬場

芝コース・ダートコースともに平坦な右回りコースで、全体として大きな高低差はないが、向正面は芝コースとダートコースで異なる勾配がつけられている。
芝コース・ダートコースともに丸っこい形状が特徴で、楕円形というよりも円形に近い。
芝コースは1周距離が約1640mあるが、第4コーナーの直線が短く、コーナーの半径も大きくとられて緩やかになっている。
1周のうち直線距離よりもコーナーをまわる距離のほうが長く、スパイラルカーブも採用されていないため、馬群の外を回れば回るほど距離のロスが大きくなる。
ゴール板は第1コーナー寄りに設置されているため、ゴール板を通過するとすぐに第1コーナーへのカーブに入る。
ダートコースも同様で、1周の距離は1487mで中京競馬場に次ぐ大きさであるが、直線の長さは264m程しかない。
開場当時は砂コースしか存在せず、現在のダートコースとはやや異なるもので、当時の記録等でも「砂」と表記されている。
1968年にダートコースに改修され、1975年に左回りから右回りに変更。1989年に芝コースが新設された。

函館競馬場

2011年までは夏季「北海道シリーズ」の前半戦として6月中旬-8月上旬に2回・16日間開催してきたが、2012年以降は札幌競馬場も含めて開催日数が見直されている。
全て第3場開催として扱われるが、一般競走も含め多くのレースで関東(美浦)所属と関西(栗東)所属の馬や騎手が混在する。
かつてはホッカイドウ競馬も開催していたが、1997年に門別競馬場が開設されたことに伴い開催権を返上したため、馬場を使用してレースが開催されるのは上記の期間のみとなった。
JRAでは、非開催時も場外発売所「パークウインズ函館」として使用している。
2010年より供用を開始した新スタンドには「展望デッキ」が新設され、函館山や函館市内を一望できる施設となっている。
あわせて改修していたパドックも使用開始され、馬の脚元付近の視点から見ることができる「ダッグアウトパドック」が新たに採用された。
ダートコースの内側には調教用のウッドチップコースが設けられている。これはかつて中央競馬に所属していたアラブ系競走馬の調教コースだったものを改修してできたもので、JRAの競馬場内にある調教施設としては函館競馬場にのみ設置されている。
このため札幌競馬開催中でも函館競馬場に滞在して調教を行う馬も存在する。
それ以外では、近隣の湯の川温泉を源泉とする「馬温泉所」も設けられており、夏季には札幌・函館開催に出走する競走馬が利用する他、冬季には競走馬総合研究所・常磐支所の実質的な分室として機能する。
さらに競走馬用の手術室も設けられている。
函館市の「避難所」にも指定されており、大規模地震の発生時は駐車場が避難所として利用される。
芝コース・ダートコースともに第2コーナーから第3コーナーにかけて3.5mの高低差があり、主要4場(中山・東京・京都・阪神)を除くローカル開催の競馬場(札幌・函館・福島・新潟・中京・小倉)では最大の数値となっている。
正面直線の中ほどからやや1コーナー寄りに設置されているゴール板から第2コーナーまでなだらかに下り、その後第3コーナーあたりまで上り勾配が続き、最後は直線に向けてなだらかに下る。
芝コースは第4コーナーからゴールまでの直線が262.1mしかなく、中央競馬を開催する競馬場では最も短い。
1994年のコース改修工事でスパイラルカーブが導入され、コーナーが曲がりやすくなった。
あわせて、芝コースに用いる芝も札幌競馬場と同様に100%洋芝へ変更された。
コース改修後最初の開催は1開催限定で行われ、芝コースは芝の育成・保護のため使用せず、ダートコースのみで行った。
洋芝コースはパワーとスタミナを要するとされ、馬により適性も異なるため道外の競馬場で結果を残せなかった馬が函館競馬場や札幌競馬場で好走する例がみられる。
このため、近年は函館・札幌の芝コースに対する適性が馬券検討の際にある程度重視されるようになった。
障害コースは現在設置されていないが、終戦直後頃までは設置されており、馬場中央には襷コースがあったほか、1・2コーナーでは、平地コースの外側に出て、現在の厩舎地区を外寄りに通るコースとなっていた。

福島競馬場

開設は1918年で、1997年にリニューアルされた。
毎年4月、6月 - 7月、11月の3ヶ月間に渡って22日間開催される。このうち、夏の開催は東日本地区の主場開催として開催される。
中央競馬を開催する競馬場では最も小さく、レースの大半を500万円以下条件戦と未勝利戦が占めている。
ドイツのバーデンバーデン競馬場と提携しており、交換競走も行われている。
薄暮競走は行われていないが、2013年から第2回相当の7月の開催について、「準薄暮」の位置づけで最終競走の発走を16時半に繰り下げて開催している。
静岡県の藤枝競馬倶楽部から移転の形で公認競馬を誘致した福島競馬倶楽部が使用する競馬場として、1918年に建設され同年6月に初の競馬が開催された。
1937年の秋季開催からは主催が日本競馬会に移行されたが第二次世界大戦のため1943年限りで競馬開催が休止。終戦後には食糧難対策として農場として使用された。国営競馬移管後の1949年9月に競馬開催が再開。1954年からは日本中央競馬会に移管され現在に至っている。
周回コースで芝コースが外側、ダートコースが内側に配置されており、ともに平地競走では右回りでレースが施行される。
1997年に完成したスタンド改装工事と同時に馬場の全面改修も行われた。

新潟競馬場

2001年に日本の競馬場としては初となる直線1000mの芝コースを新設し、周回コースも右回りから左回りに変更して、同年7月14日、全面リニューアルオープンした。
最後の直線距離は芝・外回りで659mあり、中央競馬を開催する競馬場としては最も長い。
通常は3回24日開催であるが、ここ数年は他場の改修等の影響で通常日程より多く組まれている。
薄暮競走は現在行われていないが、2012年は通常の薄暮開催が見送りではあるが、7-9月の第2・3回開催の第12競走を16:30に繰り下げる「準薄暮」の形での開催を行った。
夏開催では東の主開催の中心となっており、全国で唯一、この時期に行われるサマーシリーズのスプリント、マイル、2000の全てに競走を有している。
現在のコースは東京・中京と同じく左回り。日本でGI及びGI級競走を開催しない競馬場では唯一、内回り・外回りのコースを有する。
また日本では唯一の直線1,000mのコースを有し、アイビスサマーダッシュ(GIII)も施行される。
外回りの1周距離2,223m(Aコース)は日本の競馬場では最長、直線の659mも中央競馬では2番目に長い東京競馬場の直線距離より100m以上長い。
内回りとダートはほぼフラットであるが、外回りでは3コーナーに向けて2mほどの上り坂がある。
また直線コースはスタートしてから200mまでが1mほどの上り坂となっている。

東京競馬場

東京都府中市にある中央競馬の競馬場である。所在地から府中競馬場や府中と通称される。
敷地内施設として、JRA競馬博物館・乗馬センターの他、馬車・水遊び広場やミニ新幹線など遊園地のような遊具やイベントが行われている。
東京競馬場の特徴として、ゴール手前の長い直線と、緩いカーブ、左回りなどが挙げられる。比較的直線が短く小回りの競馬場が多い中では独自の特徴をもっている。故に、東京競馬場にのみ相性がいい馬も多く、トニービン産駒などがその典型とされている。
そのほか、直線手前で馬群が大きく広がりやすいのもこの競馬場の特徴である。
かつて芝には1000m・1100m・1200m、ダートには1000m・1100mの距離が右回りで設定されていた。このうち芝1200mの競走については1984年まで施行された。
2010年の第4回開催からは、ダート1600mのスタート位置及び2コーナーのシュート部分の線形が若干変更された。これによるレコードタイムの抹消措置は行われない。
障害コースは現在単純な周回コースだけであるが、1998年までは1周内に障害が9個。3コーナーから1コーナーにかけて襷コースが配置されており、年2回の東京障害特別の際に使用されていた。
さらに戦前の竣工時には、襷コースがX字状にクロスした形で存在し、さらに3コーナーから4コーナーにかけては、馬場の内側にもう一つS字状にカーブしたコースが存在していた。
2009年5月23日の第4競走において、本来発馬機がダートコースのゴール地点になる場所に設置するところを係員が誤って芝コースのところに設置し、実際には15m短い3285mのコースで行われた。
払戻しが確定した後係員が気づき発覚したため競走成績および払戻しはそのまま行われたものの、初めてのコースで行われたため勝ちタイムがそのまま基準タイムとして残されることになった。
2012年から東京ジャンプステークス、東京ハイジャンプは直線芝コース3110mで行われることになった。
尚、春の日本ダービーと秋の天皇賞(秋)とジャパンカップの日には正面スタンドの障害コースの200mが開放される。

中山競馬場

中山競馬の起源は1907年に千葉県東葛飾郡明村大字岩瀬につくられた松戸競馬倶楽部で、1919年8月10日に陸軍省により敷地の接収を受け、東葛飾郡中山村大字若宮(現:市川市若宮)へ移転した。
1920年には中山競馬倶楽部と名称が改められ、1927年に少し北東側の東葛飾郡葛飾村大字古作(現:船橋市古作)に馬場が移された。
その後、1937年に日本競馬会へ統合、中山競馬場として発足し現在へ至る。
歴史的には、東京競馬場の東京優駿(日本ダービー)に対抗する競走を設けることが長い間念願であった。周辺の地形が起伏に富んだ地形であり、それを生かして障害コースが設けられ、そこを舞台に中山大障害が開催された。
さらに、第2代理事長有馬頼寧によって中山グランプリ(現在の有馬記念)を創設。今では年末の風物詩となっている。
また、年末のクリスマスイルミネーションが有名で、高さ20mのヒマラヤスギを使ったクリスマスツリーは、生きた樹木のクリスマスツリーとしては日本国内で最大級である。他の見所としてはパドック近くに建てられたハイセイコーの像がある。
アメリカのローレルパーク競馬場と提携を結んでおり、ローレル競馬場賞中山牝馬ステークスが施行されている。
主要4場の中では最も直線が短く小回りなコースで、主要4場以外と比較した場合でも、内回りコースの1周距離は札幌競馬場とほぼ同じだが、コース全体の高低差が芝コースで5.3mあり、これはJRAの競馬場で最大となっている。
ダートコースも全体の高低差が4.5mとなっている。また、ゴール前にも残り180mから70mの地点に高低差2.2メートルの急坂があり、ゴール前の逆転劇につながるケースもしばしば見られる。

中京競馬場

基本的に中央競馬では、毎年1月、3月、6月 - 7月、12月の4開催、24日間に渡ってレースを開催。レースが無い時は競馬場内場外発売所「パークウインズ中京競馬場」として運営されている。
かつては地方競馬も開催していたが、2002年以降休止しており、現在は場外発売所としてのみ使用している。
国営競馬の中京競馬開催が始まった1953年の10月8日から地方競馬の開催も始まった。
しかし、1993年の大改修を契機に施設利用料が大幅に引き上げられ、1日あたり5000万円といわれる土地・施設賃借料が収支を圧迫するようになったため開催日数が減少してゆき、2002年の正月開催を最後に休止している。
かつては地方競馬で唯一、芝コースを使用してレースが行われていた。
1989年には芝2000mのコースで名古屋市制100周年記念(中央・地方全国交流競走)を行ったこともある。
中京開催を行っていたころは、地方競馬招待を勝ったリュウアラナス、オールカマーを勝ったジュサブロー、テレビ愛知オープンを勝ったトミシノポルンガなど、中央の芝でも活躍した馬が多数いた。
中央に移籍して活躍したステートジャガーやヒカリデユール、「芦毛の怪物」と呼ばれたオグリキャップも地方時代に芝の重賞を勝っている。かつては笠松競馬に所属していた騎手の安藤勝己も中京の芝コースは乗り慣れていた。
現在、名古屋競馬・笠松競馬開催時の場外発売のみが継続されている。

京都競馬場

開場当初の京都競馬場は、沼地に近い地盤に作られたこともあって、非常に馬場状態が悪かった。
このため、馬場に畳床を敷き詰めて改良した逸話がある。1936年には鉄筋コンクリート製の収容人員25000名を誇る大スタンドが竣工したが、戦時中の金属回収によって屋根が撤去され、1959年に復旧するまでスタンドのほとんどに屋根がなかった時期がある。
芝コースは第3コーナーで内回りと外回りに分岐し、第4コーナーで合流する。
第2コーナーの奥にはバックストレッチに連なる長い引込み線があり、1600mや1800mでは奥深い地点からスタートする。
最大の特徴は第3コーナー付近にある淀の坂とも呼ばれる坂で、高低差は4.3mある。起伏があるのはこの部分だけで、他は直線も含めほぼ平坦となっている。
ダートコースの1周距離は東京競馬場に次いで大きいが、直線は阪神競馬場や新潟競馬場よりも短い。芝コースと同様に、ダートコースも第3コーナー付近に坂が設けられているが、これ以外はほぼ平坦。
障害コースは平地と同様の順回りのみで、第3コーナー手前から2つのコースに分岐。内側を通る「ハイジャンプコース」は京都ハイジャンプと京都ジャンプステークスでのみ使われ、高さ0.8m・幅15.9mのバンケット障害がある。

阪神競馬場

2006年のコース改修で従来の第3コーナー - 第4コーナーの外側に新設された芝外回りコースは東京競馬場を上回り、右回りの競馬場として日本最大の1周距離となった。
あわせて、芝コース・ダートコースとも第1コーナー - 第2コーナーのカーブにスパイラルカーブが採用されたほか、ダートコースの第3コーナーも緩やかなカーブに改良された。
これにより、改修前のコース形態で問題とされていた点もほぼ解消され、特に枠順による有利不利が指摘されていた芝1600mは向正面の中ほどに発走地点が移されたことで、不満の声も聞かれなくなったとされる。
宝塚市は競馬ブーム以降、「『阪神』では地名が分からない。だから『宝塚』に変えてもらいたい」と、阪神競馬場を「宝塚競馬場」に改名してもらおうという陳情をJRAに再三にわたって行っている。
しかしながらルーツは鳴尾の阪神競馬場であり、競馬法上ではこの阪神競馬場が場所を移転して存続しているので、JRAがこの陳情に対し真剣に検討したことはないようである。
宝塚市側では諦めきれず、市のホームページや、市で発行する広報紙や公文書等で「宝塚競馬場」と表記し、市内の道路標識での表記や阪急今津線仁川駅の副駅名も「宝塚(阪神)競馬場」にしている。
しかしながら、すでに「宝塚」の名を冠している「宝塚記念」があり、通称としては『阪神』あるいは『仁川』がファンの中では定着してしまっている。
また、年末に中山競馬場にて開催される「有馬記念」について、名前に「有馬」が付いているので、神戸市の有馬温泉に地理的に近いため、「阪神で有馬記念を行っている」と誤解を招くことが多いが、この有馬は日本中央競馬会第2代理事長である有馬頼寧の業績をたたえたものであり、有馬が「東京競馬場で日本ダービーを開催しているのに対抗して中山でも看板となる大競走の開催を」と提案したことによるものであるため、有馬温泉とは一切関係がなく、中山の改修による代替が発生しない限りは阪神競馬場で有馬記念を開催する予定も現段階ではない。
また混乱を招く恐れがあるため、阪神競馬場の特別競走で「有馬」または「有馬温泉」の冠を付けた特別競走を行うことができない状態にもなっている。

小倉競馬場

福岡県北九州市小倉南区北方にある、中央競馬を開催する競馬場である。1999年に全面リニューアル工事を施した。
芝生の根に直接散水する「セルシステム」(自動給水装置)といわれる装置を世界の競馬場で初めて採用した。
開催は通常毎年2月から3月、7月から9月の2開催20日間である。なお2005年度から夏期開催では薄暮競走を実施している。
メイン競走は第10競走で施行する。
2011年以後は東日本大震災及び東京電力・福島第一原発での事故に伴う節電・省エネのため薄暮開催は自粛している。
ただし、中京競馬場の全面改修のため、2010年と2011年の中央競馬全体の最終競走である「アンコールステークス」は、九州地区の日没が遅いことを踏まえ16:35に発走され、事実上の「準薄暮」となっていた。
なおこれまでは検疫厩舎がなく、小倉競馬場で実施されるすべての重賞競走は国際競走に指定されていなかったが、2009年より小倉大賞典・小倉記念・北九州記念が、2010年より小倉2歳ステークスがそれぞれ国際競走に指定された。
2009年5月24日に釜山慶南競馬公園と姉妹競馬場として提携書に調印した。
東京競馬場・中山競馬場・京都競馬場・阪神競馬場を除くローカル開催場では唯一、障害専用の周回コースを有する。
障害コースは、馬場の中央で襷コースがX字状に交差する形態だったが、2コーナー側から4コーナーへの襷コースは長らく使用されず、1970年の馬場改修工事の際に、現在の襷コースのみの形態に変更された。
1998年頃の改修工事以前はスタンド前の障害は2つで、向正面に3つの障害が設置されていたが、1999年の改修工事以降はスタンド前の障害は3つになって、向正面の障害は2つになった。また、内馬場を横切る襷コースに、福島競馬場と同様の築山型バンケットと最後の直線コースに可動式障害を設置した。
2コーナー付近が小高い丘になっており、1コーナー付近から登って2コーナー過ぎから下っていく構造になっている。
その為、下った直後からスピードが出る傾向がある。特に芝1,200mはこの小高い丘にスタート地点があり、発走直後に坂を下っていくことから、それを裏付けるように1999年にアグネスワールドがマークした芝1,200mのJRAレコードタイムである1分6秒5というタイムはいまだに破られていない。

 

 

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