地方競馬
帯広競馬場
北海道帯広市にあるばんえい競馬の競馬場である。
かつてはホッカイドウ競馬とばんえい競馬を併催していたが、ホッカイドウ競馬が1997年をもって開催を終了したため、現在はばんえい競馬のみ開催している。
ただしホッカイドウ競馬や他地区の広域場外発売も引き続き行っているほか、2013年6月8日より日本中央競馬会(JRA)の場外発売も開始した。
ホッカイドウ競馬や他地区の広域場外発売時は「帯広場外発売所」、JRA場外発売時は「J-PLACE帯広」の名称が併用される。
敷地内に併設された「馬の資料館」では、ばんえい競馬や馬文化の歴史を知ることができる。開催日に関わらず毎日無料で公開している。
2007年度には施設外壁や柱の塗色を鮮やかにするなどの改装が施されたほか、パドックがスタンド側に移設され、旧パドック跡にはポニーと遊ぶことが出来る「ふれあい動物園」を新設した。
このほか、敷地内には商業施設「とかちむら」が営業しており、農産物などの地場産品や洋菓子類などを販売している。
施設所有者は「とかちむら」も含め十勝農業協同組合連合会で、ばんえい競馬は施設を賃借して競馬を開催している。
ばんえい走路脇に設置している固定式の着順掲示板では、以前よりばんえい競馬開催時に測定時刻と馬場水分を電光表示していたが、2011年に馬場水分表示部が故障したため2012年まで着順表示のみ使用した後、2013年より数字板を差し込む掲示に変更している。
またホッカイドウ競馬が開催を行っていた当時は、電光表示部にボードをかぶせて馬場状態を表示していた。
ばんえい競馬が帯広に集約された2007年より、公募による新ファンファーレに変更された。
演奏は陸上自衛隊第5音楽隊が行っており、重賞競走「ばんえい記念」では生演奏も行われる。
門別競馬場
1997年12月に開場した、日本で最も新しい競馬場。
1982年よりホッカイドウ競馬の門別トレーニングセンターとして使用していた馬場などを約15億円かけて改修した。
土地所有者は一般社団法人北海道軽種馬振興公社(HRA)、施設所有者は第三セクターのホッカイドウ競馬振興株式会社。ホッカイドウ競馬は土地を無償貸借、施設は賃借して競馬を開催している。
冬季休催期間を含む非開催時は、ばんえい競馬や他地区の場外発売所として使用している。
かつて門別競馬場以外の競馬場でホッカイドウ競馬を開催していた際は、門別競馬場が場外発売所として発売を行っていた。また2013年3月23日より日本中央競馬会(JRA)の全レース場外発売も開始した。JRA発売時は「J-PLACE門別」と呼称する。
大きな勾配のない平坦なダートコース。海砂を使用し、砂質はかなり重くパワーを要する馬場。砂厚も12cm前後と他の競馬場よりも深めに設定されている。
このため、乾いた馬場は足抜きが重くなりタイムがかかる。逆に水分を含んで重馬場になると、足抜きが急激によくなりタイムも速くなる。
周長と直線の長さの割に、先行馬有利の傾向が強い。砂の補充や調整が行われると水はけを確保するため、内側の砂がさらに深くなるため、馬場状態によっては内ラチ沿いを大きく開けてレースが進む事も多い。
冬季の馬場凍結を防ぐため砂に大量の凍結防止剤を混ぜており、砂の保湿性が非常に高い。
このため、一度雨や雪で馬場が水分を含むと乾くのに時間を要する。その影響から重馬場・不良馬場となることが比較的多い。
スタンド増設工事と並行して照明設備も新設。42基の照明塔をコース内外に配置し、ナイター照明の照度は400-500ルクスで旭川競馬場よりも明るく、大井競馬場と同等程度になる。2009年から門別競馬の全開催日をナイター開催としている。
夕方にかけて強い西日が射し込む向正面-3・4コーナー中間の付近はスタンドからの中継映像が逆光になり見にくくなる場合があり、この付近では実況中継に第3コーナーからのパトロールカメラを用いている。
また、太平洋に近い海沿いの立地条件に加え昼夜の気温差も大きいことから濃霧が発生しやすく、これが原因で開催が中止されたり、一部の競走が取りやめとなったりするケースも発生している。
盛岡競馬場
ダートコースの内側に芝コースが設けられており、地方競馬のみを施行する競馬場では唯一、芝コースを有する。
旧盛岡競馬場同様に勾配のあるコース設計で、ダートコースは最大高低差が4.4mあり、ダートコースとしては中山競馬場と並ぶ国内最大の高低差となっている。
また、第2コーナーの奥に400mの引き込みコースを有するのが特徴で、ここをスタート地点とするダート1,600mはスタート直後から直線に近い走路を800m以上も走り、国内では珍しいレイアウトとなっている。
かつての岩手競馬は「地方競馬の優等生」と呼ばれるほど経営が好調であったことが中央競馬に匹敵する豪華な競馬場の建設を可能としたが、その後は競馬人気が低迷し、膨大な建設費債務・減価償却が岩手競馬の経営を圧迫することとなった。
東京競馬場との姉妹提携を行っており、交換競走として盛岡競馬場では「東京カップけやき賞」、東京競馬場では「オーロカップ」が行われる。
在宅投票システムは「オッズパーク」と「楽天競馬」が利用可能である。なお、他に2009年1月12日までは岩手競馬独自の「R-CALL」があった。
2013年には馬場内とアトリウム内の大型ビジョンが更新されることが決まった。
場内で販売されている「ジャンボ焼き鳥」が有名。
芝スタンドの裏手には小さめの建物があり、軽食コーナーが設けられている。
以前は『公園投票所』として自動発売・払戻機が設置されていたが、現在同所での発売・払戻は行っていない。同所で使用していた自動発売・払戻機は現在『UMACCO盛岡大通場外発売所』で使用している。
旧競馬場は盛岡市内の高松公園内にあり、向正面に設けられた巨大な坂は高低差8.8mと日本の競馬場では最大であったが、コース幅員が非常に狭かったためフルゲートを8頭までしか設定できず、多頭数の競走を編成できなかったことが最大の弱点であった。
そのため東北地区交流レースや北日本地区交流レースは水沢で開催されるのが常であった。元々軍馬を育成するために設計されたコースであり、異様とも言える高低差はその名残である。
旧競馬場も現在も同じ、ダート1600mのコースであり、直線は350mほどと現コースよりも長い。3コーナーまで坂を登り切ってからはゴールまで急激な下り坂になっており、全国的にも珍しい最後の直線が下り坂となっているレイアウトであった。
4コーナー以外にポケットが無く、中途半端な施行距離のレースが多かったのも特徴であった。
水沢競馬場
水沢競馬場は北上川のほとりに所在し、盛岡競馬場と共に岩手県競馬組合が主催している。在宅投票システムは「オッズパーク」と「楽天競馬」が利用可能である。
トウケイニセイやメイセイオペラ、トーホウエンペラーなどが過去に所属。
トウケイニセイの業績をたたえて、岩手県競馬の年度末開催に「トウケイニセイ記念」という岩手県重賞を開催している。
なお2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響でスタンドが被災したため復旧工事を行ない12月10日より再開した。なお場外としての発売として地方競馬は5月16日から再開しており、中央競馬の場外発売も10月8日の開催から再開した。
浦和競馬場
埼玉県さいたま市南区に所在する競馬場で、主催者は埼玉県浦和競馬組合。
SPAT4加盟競馬場。船橋、大井、川崎と共に南関東公営競馬を構成する。
1600mのスタート地点は第3コーナー途中にある。通常スタート地点のポケットはある程度の直線が確保されるが、この1600mスタート地点のポケットは直線部がないに等しく、本コースに出るにはちょうど直角に曲がらなければならない。
コースの幅も十分確保されているとは言えず、「枠1つ外に行くごとに半馬身の距離ハンデ」と形容されるほどに外枠は不利とされる。
そのため、中央競馬所属を含む多くの騎手から「日本一難しいスタート地点」と評されている。場内の公認予想屋たちも「1600m戦での枠順の有利不利を無視した予想は無謀」と言うほどである。
第3コーナー付近では騎手が殉職する落馬事故が2000年以降に2件発生している。
第4コーナー最終からゴールまでの直線が短くコースの幅が狭いことなどから、第3コーナーから最終コーナーでの位置取りがレース上極めて重要なポイントとなるため、競走馬の能力と同時に騎手のレース中の駆け引きや競走馬の操縦にも一際高い技術が要求される、浦和のコース形状も要因となっている。
コース内を一級河川の藤右衛門川が第3コーナーから第2コーナーへと向正面に平行して流れており、コース上には橋が2か所存在する。前述の1600m戦も、第3コーナー過ぎの橋の上からスタートする。
またコース内を通過する一般道が2本通っており、競馬非開催日および場外発売日にはコースを横断して通り抜けることができる。
自転車も通行可能だが、コース部に板や鉄板などは敷かれず実際に競走馬が走る砂上を通ることになるため、乗ったまま通り抜けることは困難である。
一般道の門からはダートコースに入ることができ、ランニングなどのトレーニングに利用されている。
内馬場は公園として整備されており、競馬開催日以外は内馬場に立ち入ることが可能である。競馬非開催日および場外発売日の利用可能時間内は一般開放される。
船橋競馬場
競馬の主催者は千葉県競馬組合で、土地・施設は株式会社よみうりランドから賃借している。浦和、船橋、大井、川崎の1都3県の競馬場を南関東4競馬場という。SPAT4加盟競馬場。
左回りで、1周1,400mの外回りコースと、1,250mの内回りコースからなる。スパイラルカーブを採用している。
枠順による有利、不利が少なく、南関東4競馬場の中でもっとも乗りやすいコースといわれている。
また、開設当初は競馬用レースコースの内部にオートレース用のダートトラックを設備しており、ここで日本最初のオートレースが開催された。
船橋競馬場に所属する厩舎は競馬場のスタンド寄りの本厩舎とトラック向正面の海岸厩舎に分かれている。
かつては船橋競馬場の南側は砂浜で船橋競馬場の所属馬はこの砂浜でも調教されていた。現在は周辺が埋められているため往時をしのぶことはできない。
大井競馬場
東京都品川区勝島にある地方競馬の競馬場で、愛称は東京シティ競馬 。SPAT4加盟。
施設所有者は東京都競馬株式会社、競馬の施行者は特別区競馬組合で、浦和、船橋、川崎と共に南関東公営競馬を構成する。
1950年に八王子競馬場の代替として開場され、同年5月12日に初開催された。1954年から大井オートレース場も併設していたが1973年に廃止され、群馬県伊勢崎市に移転して伊勢崎オートレース場となっている。
また特別区のほかに東京都も競馬を主催していたが、1973年、東京都は当時の東京都知事美濃部亮吉の政策により、競馬やオートレースなど公営競技から撤退し、現在は特別区のみが主催している。
サンタアニタパーク競馬場と友好交流提携を結んでおり、大井競馬場では「サンタアニタトロフィー」、サンタアニタパーク競馬場では「東京シティカップ」が交換競走として行われている。
すぐ近くに平和島競艇場があるため、大井でのナイターや薄暮開催日は昼間競艇→夜競馬のリレー観戦をできる。
コースは1周ダート1600mの右回り。3コーナーの手前から4コーナーの出口までは内回りと外回りに分岐しており、内回りの場合は1周1400mとなる。
競走用のコースの内側に調教用のコースも設けられている。4コーナー出口からゴールまでの直線の長さは、内回りコースで286m、外回りコースで386mである。
現在の施行距離は1000m、1200m、1400m、1500m、1600m、1700m、1800m、2000m、2400m、2600m。このうち1500mと1600mのみ内回りを使用し、他は全て外回りである。また2400mは東京記念、2600mは大井記念のみで使用される。
最大出走頭数は通常は16頭。
但し、特別競走・重賞競走を行わない平場競走では14頭であるが、2009年11月30日から2012年3月までは平場競走でも16頭で行われていた。なお、1000m、1500mではフルゲート14頭である。
以前は800m、1200m(内)、1800m(内)、2500m、2800m、3000mの距離設定もあったが、現在は使用していない。
大井競馬場では、3月下旬から12月上旬の間トゥインクルレースとしてナイター競馬が施行されている。
2010年は上記の期間に加え12月24日・25日の2日間もナイター競馬が施行された。2012年も上記期間に加え12月27日・28日に「年忘れカウントダウントゥインクル」としてナイター競馬が施行された。
2013年4月現在、ナイター期間中における最終競走発走予定時刻は20時50分で、全国の公営競技場の中でも川崎競馬場、及び高知競馬場と並んで日本で最も遅い(うち高知競馬場は、2012年12月24日まで20時55分に設定されていた。
なお、大井競馬場でも2002年8月から2006年3月まで同じく20時55分の設定となっていた)。
また、年末開催では薄暮競走を実施している。
川崎競馬場
神奈川県川崎市川崎区に所在する地方競馬の競馬場。
現在の競馬の主催者は神奈川県川崎競馬組合で、土地および施設は株式会社よみうりランドから賃借している。浦和、船橋、大井と共に南関東公営競馬を構成する。SPAT4加盟競馬場。
全国の競馬場で最も敷地面積が狭く、全国の競馬場で唯一向正面の奥に大型ビジョンが設置されている。
このため、内馬場の芝生スタンドからも大型ビジョンによりオッズなどの情報を容易に取得する事ができる。
前身は横浜市の戸塚競馬であり、川崎競馬場は1949年に開設され1950年から競馬が開催されている。
1967年度まで横浜市営競馬及び平塚市営競馬、2000年度まで神奈川県営競馬及び川崎市営競馬が行われ、かつては自治体ごとに別々に主催していたが、2001年度以降は神奈川県川崎競馬組合営競馬として開催されている。
マスコットは馬で騎手スタイルの「カツマルくん」。
現在の川崎競馬場の地に最初に競馬場ができたのは、1906年のことである。
板垣退助を中心とした京浜競馬倶楽部によって競馬が開催された。
ところが、1908年に政府が馬券発売禁止令を公布して馬券の発売を禁止したため、競馬を開催できなくなってしまい、実質的な開催日数はわずか15日だけであったという。
跡地には当時の川崎町長によって富士瓦斯紡績の工場が誘致され、1915年に操業を開始する。
工場であった時代の1930年には、工場の労働争議を支援するため、煙突男が出現して世間の話題となった。その後、1939年に工場は東京電気に譲渡されたが、太平洋戦争中の空襲により焼失し、戦後再び競馬場が復活することになった。
ダートコースの砂は従来仙台産のものが使用されていたが、2011年5月から青森産の砂に入れ替えられている。
競馬場としてはコースの奥行きが無い構造である事から、向正面や3コーナーなどの仕掛け所をスタンドから一目瞭然に見渡す事が可能である。
その為、仕掛けやハンドリングについて騎手の巧拙がはっきりと観客の目にも判るという特徴がある。
またコーナーが極めてきつく人気馬であっても勝利させるには高い騎乗技術が必要であり、馬の能力と同様に騎手の腕も大きく問われるとされている。
金沢競馬場
現在、本州日本海側および北陸地方唯一となる地方競馬場で、その立地から来る低温な気象条件から、1月から3月上旬までは開催されていない。
また、日曜開催があるため中央競馬への遠征が少なく、騎手の知名度はあまり高くないため、しばしば波乱の立役者となっている。
現在の金沢市入江・新神田周辺にあった旧金沢競馬場が1973年、現在地に移転した。
1周1200メートルで幅員は20メートル、砂厚8センチ、最後の直線は236メートルとなっている。ポケットが4か所にあるのが特徴。
重賞は2100メートル以上の長距離のレースが約半分を占めている。
施行できる距離は900メートル、1300メートル、1400メートル、1500メートル、1700メートル、1900メートル、2000メートル、2100メートル、2300メートル、2600メートル。
このうち2000メートルは、2005年5月8日に行われた第17回ジェイティービー賞を最後にしばらく使用されていなかったが、2012年4月10日に行われた第22回スプリングカップで約7年ぶりに使用された。
2005年5月22日にスタンドのゴール前付近に畳席(約14畳)が設けられた
。場内の大型モニターと着順掲示板には瓦屋根が施されている。
地元専属の実況はおらず、耳目社所属のアナウンサーが実況を務めている。
競馬新聞は4紙あるが、いずれも冊子形式となっている。トータリゼータシステムは日本トーターである。
笠松競馬場
1931年、恵那郡中津町に存在した中津競馬場を笠松町に移転したのが前身である。
戦前、岐阜県には各務原競馬場、養老競馬場が存在していたが1938年に笠松競馬場に統合されている。
競馬の主催者は岐阜県地方競馬組合。オッズパーク、D-Net加盟競馬場。
名古屋競馬と交互に開催され名古屋競馬開催時は場外発売を行う。2004年に「名馬・名手の里 ドリームスタジアム」の愛称がつけられ、各種PRに用いられている。
最寄駅は名鉄名古屋本線の笠松駅。かつての最寄りの駅は東笠松駅であり競馬開催日には優等列車が停車することもあったが、2005年1月29日をもって廃止になった。木曽川のほとりに位置する。
コースは1周1100メートルの右回り。厩舎は離れた所にあり調教の際は馬を延々と歩かせて競馬場まで移動させる。
笠松競馬から強い馬がよく出てくるのはこの移動で足腰が鍛えられているからだと言われている。
なお、移動の際には公道を一度横断しなければならないが、その横断歩道にある信号機の押ボタンは馬から降りずにボタンを押せるように高い位置にも設置されている。
馬から降りてしまうと馬が暴れて危険な場合もあるためである。また、馬横断注意の標識も設置されている。
地方競馬から中央競馬への移籍第1号騎手である安藤勝己騎手が在籍していた競馬場として知られ、また昭和から平成にかけては「怪物」フェートノーザン、「名馬」オグリキャップや「女傑」マックスフリート、その後もオグリローマン・ライデンリーダー・レジェンドハンター・ラブミーチャンなどを輩出しており中央地方の枠を超えて注目を集めることが多い競馬場の一つである。
全国でも珍しい滞在型交流を実施している。冬季期間中、金沢競馬場所属の競走馬が所属変更することなく笠松競馬場・名古屋競馬場の両方の馬房に滞在してレースに出走する。
馬だけでなく調教師などの関係者も滞在をする。また、騎手も毎年10名前後滞在してレースに参加する。
2006年3月7日からインターネットストリーミングライブ放送が開始された。
トータリゼータシステムは日本ベンダーネットである。発売締切前に流れる曲はフランク・ミルズの『愛のオルゴール』であったが、2011年10月3日に曲を変更した。
名古屋競馬場
愛知県名古屋市港区にある地方競馬の競馬場である。オッズパーク、D-Net加盟競馬場。
競馬場のかつての地名から愛称として土古競馬場とも呼ばれている。キャッチフレーズは「推理とロマンの名古屋けいば」。
愛知県競馬組合(愛知県、名古屋市、豊明市からなる一部事務組合)によって競馬が開催されている。笠松競馬場開催時は場外発売を行っている。
なお、同組合はかつて中京競馬場でも「公営中京競馬」としてレースを開催していた。また、日本人女性騎手最多勝利数記録を持つ宮下瞳が所属していた。
名古屋競馬場に所属する競走馬は、弥富市の弥富トレーニングセンターで調教される。
2005年から個人協賛競走が取り入れられた。これは現在廃止された上山競馬場、高崎競馬場に続くものである。
全国で初めて前日夜間発売を実施した。
1周1100m、幅23m、右回りダートコースで直線距離194mとなっており、現存する競馬場の中で日本一短い直線である。
距離設定は800m、1300m、1400m、1600m、1800m、1900m、2500mとなっており、2500mは名古屋グランプリのみで使用される。
ただし1300mは2011年11月17日を最後に、2013年現在使用されていない。
コースの形状から外枠の出走馬が人気薄でも来ることがある。そのため以前から枠番連勝複式の7-8はよく売れる。
かつては障害競走が行われていて内馬場には1コーナーから3コーナーに向かうたすき状の障害コースの名残が見られ、3コーナーからの襷の入り口付近に生垣障害が残っている。
園田競馬場
兵庫県尼崎市にある地方競馬のための競馬場である。主催者は兵庫県競馬組合。2005年8月よりD-Netに加盟した。
かつては「アラブのメッカ」と呼ばれ、楠賞全日本アラブ優駿を開催するなどしてきたが、現在ではアラブ系単独のレースは行われていない。
レース施行距離は820m、1230m、1400m、1700m、1870m、2400m
2013年現在、2400mは六甲盃のみで使用されている。
サラブレッド導入に伴い1999年にスパイラルカーブを設置する工事を施した。
当初の予定ではサラブレッドのスピードでも十分回れるよう1100mになるはずだったが、3コーナーにある森林に手を入れられないことがわかったため1051mという中途半端な距離になった。
限られた部分を使い無理矢理拡張したため、向正面が直線ではなく、緩く右にカーブしているのも特徴である。以前の距離は1周1000mであった。
これまで、大晦日、元日は初詣などとの混雑緩和のため開催を控えてきたが、1999年度から大晦日開催、2004年度から元日開催を実施。元日開催は1965年度以来40年ぶりで、この年度は12月28日から1月4日までの8日間連続シリーズとなった。
なお、大阪国際空港の3kmほど南にあるため、飛行機から競馬場の全景が良く見える。
また2012年からナイター競走の開催が予定されていると報じられたが、9月26日、一人の兵庫県議が周辺住民を対象として導入の賛否を問うアンケートを実施したところ、回答者の約7割が反対の意思を表示。県議は県競馬組合の管理者に対して、ナイターの計画中止を求める申入書を提出したとのこと。
2012年7月、8月の間にナイター設備の設置工事を行い、9月7日から11月9日までの毎週金曜日にナイターで競馬を開催する方針が報じられている。
なお当面ナイターは金曜日のみとするが、冬季期間はナイターを行わない予定である。
その後、この名称を「そのだ金曜ナイター」とすることが決定。
姫路競馬場
兵庫県姫路市にある競馬場である。正式名は姫路公園競馬場。主催者は兵庫県競馬組合。
前身の淡路競馬場が廃止された際に、それに代わる形で1949年に開設された。
姫路公園競馬場の名の通り競馬場全体が公園となっており、コース内側は野球場、球技場、児童遊園が整備され、馬場内公園への入り口も設けられている。
2005年8月よりD-Netに加盟し、それに付随してオッズパークにも加盟している。
かつては7月・11月・3月に3開催ずつ、計9開催を行っていたが、組合の予算が厳しくなってきたことや園田競馬場に比べて集客力で劣ることなどの理由で姫路競馬の開催日数は縮小され、概ね年間3開催まで減少した。
2012年に園田競馬場で始まった金曜日のナイターが春から秋にかけての目玉となることもあり、ナイター開始後は開催を行われていないなど、さらに減少傾向が続いている。
高知競馬場
高知県高知市にある地方競馬のための競馬場である。四国地方では唯一の競馬場である。
主催者は高知県競馬組合。オッズパーク・D-net加盟競馬場。
現在の競馬場は1985年4月の開催から使用。それ以前は同じ高知市内の桟橋通六丁目にあり、跡地は「わんぱーくこうちアニマルランドなどになっている。
2003年後半からハルウララが話題となる。また2004年12月に提携したライブドアの前社長堀江貴文が当時所有していたホリエモンが中央競馬から移籍した。
2006年にはエスケープハッチが地方競馬平地競走歴代最多勝新記録を達成した。
2007年にはオースミレパードがサラブレッド最高齢勝利を達成。ほかにもナムラコクオーやイブキライズアップ、2011年にNAR発足以降のサラブレッド最多勝新記録を達成したオリジナルステップなど、話題を呼ぶ馬が頻繁に登場している。
現在では他の競馬場から移籍してきた馬が所属馬の大多数を占めており、2000年頃までは行われていた新馬戦は現在行われていない。
サラ系・アラブ系ともに共通していることとして、高齢馬の比率が他の競馬場に比べて高いことが挙げられる。
体調さえ維持できれば出走回数も多くなり、結果として1着・2着・3着・着外の回数が全て2ケタという所属馬はザラで、出走回数が100回を超える馬も珍しくなく、平地競走の最多出走記録を更新したヒカルサザンクロスやダイナブロスといった馬も出現した。
高知競馬のクラス分けの関係上、長期休養を取るとクラスが下がるため、衰えた競走馬でも下級条件で勝利・入着できるのが大きな要素であるが、故障馬・高齢馬に対して、調教経験の豊富な調教師の在籍、休養専門厩舎の存在、夏季の猛暑日等は別として、馬にとって「暑すぎず寒すぎず」という気候など、比較的恵まれた条件が整っていることもその理由の一つである。
地元の賞金が低額なためにケイエスゴーウェイの遠征をきっかけにして、近年他地区の交流重賞やダートグレード競走に積極的に挑むようになった。
当初は全く歯が立たなかったものの、陣営が経験を積んだためにダートグレードでも5着内に入って賞金を獲得することが多く見られ、複勝圏を確保する馬も現れている。
なお、ダートグレード競走に出走した場合は規定で次走の地元戦は、現在のクラスに関係なく強制的にA級選抜もしくは重賞に出走する規定になっており、中央馬相手に揉まれてから次走の地元自己条件で楽勝するという戦法は取れなくしている。
2008年にアラブ系限定競走を廃止した。また、試験的に一部の日程で薄暮開催「夕焼けいば」を実施し、土曜開催を金曜に振り替えた。
当初は4?6月の金曜日期間限定の予定だったが、好評だったため、8月まで延長して開催。
7?8月は土・日開催でも薄暮レースを行った。2009年は5?6月に夕焼けいば、7月24日以降は西日本地区の地方競馬としては史上初のナイター競走、通称「夜さ恋(よさこい)ナイター」を開催している。
なお、高知競馬公式サイトによると、温暖な気候を生かして日本の地方競馬では史上初の通年ナイター開催となる。
2008年度から近畿・中国・四国地区での提携強化のため特別競走および重賞競走の出走条件が緩和され、兵庫県競馬組合所属馬、福山競馬場所属馬も出走できるようになり、同様に騎手も騎乗できるようになった。
佐賀競馬場
佐賀県鳥栖市にある地方競馬の競馬場である。佐賀県競馬組合によって競馬が開催されている。オッズパーク加盟競馬場。
以前は佐賀市内の神野に所在しており、いわゆる旧競馬法時代の1924年5月から1972年2月まで開催が行われていたが周辺地域の市街化を理由に1972年7月1日に現在地へ移転、年間を通して週末を中心に開催が行われている。
旧競馬場跡地は住宅団地などになっている。
2011年までは荒尾競馬場と「九州競馬」を構成しており日程の調整や相互の場間場外発売、また人馬の交流などが行われていた。
2006年までは佐賀競馬と荒尾競馬で同時に開催を行ったりそれぞれ違う主催者の発売を行ったりしていた事もあったが、2007年に荒尾競馬で3連勝式馬券を導入するのに合わせて投票システムの統合が行われた。
佐賀競馬場独自の特徴としてパドックで出走馬は右回りで周回する。
日本国内の全公営競技場を見渡しても最大である1万台収容の広大な駐車場を持つ。競馬場移転当時から見れば、その後のモータリゼーションの到来を十分に見越したものといえる。
なお2013年度は「宵もよかよか さがけいば」をテーマに、通年で薄暮競走を展開する。発走時間は基本第1競走12:15から最終競走18:15までとなっている。
なお現地の日没時間によって発走時刻が調整され、日没が早くなる秋季・冬季は発走時刻が繰り上がり、また冬季にはレース数をさらに制限する場合もある。